「きっしょ!」と思ったことがだいたいブーメランで自分に刺さってくる映画だった。
広瀬斗史輝さんが助監督&出演されているとのことで、映画『君が君で君だ』を観に行きました。
あらすじ(公式サイトより引用)
大好きな女の子の好きな男になりきり、自分の名前すら捨て去った10年間。
彼女のあとをつけて、こっそり写真を撮る。彼女と同じ時間に同じ食べものを食べる。向かい合うアパートの一室に身を潜め、決して、彼女にその存在をバレることもなく暮らしてきた。しかし、そんなある日、彼女への借金の取り立てが突如彼らの前に現れ、3人の歯車が狂い出し、物語は大いなる騒動へと発展していく——
せっかくなら舞台挨拶の回でいろいろお話も聞けたらいいなと思ってチケットを申し込んだら、運よく取れてラッキー!
舞台挨拶には松居大悟監督と主演の池松壮亮さんが登壇。
映画ができるまでのことやロケのお話など、いろいろ聞かせていただけました。
松居監督は人を好きになるとその人になりたくなるそうで、それはちょっとよくわからないなと思ったけど、映画の中には自分に思い当たる節もあった。
写真撮影も最初はNGのアナウンスだったけど、池松さんがOKしてくださった!ヤッター!
※ここから本編の感想。ネタバレあります。
「きっしょ!」のブーメラン
まず、初っ端の感想は
「きっしょ!!!!!!」
でした。いきなり。
予告動画で姫の写真がびっしりと貼られた部屋の映像を見てはいたけど、映画館のスクリーンで映し出されると、圧がすごかった。
そしてベランダの窓を段ボールで隠して覗き穴をつけて、双眼鏡で姫の行動を観察し、帰宅時間や持っているコンビニ袋の店名まで記録する。
盗聴器で姫がカップラーメンを作り出すのがわかるやいなや、お湯をわかしてラーメンを作り、同時に「いただきます」をして麺をすする。
ゴミを拾ってきて、生理の周期まで把握している。
そりゃ「きっしょ」のフォントもデカくなるわ。ほんまに無理まじで。
でも双眼鏡を覗く尾崎の姿が、自担の舞台で野鳥の会状態になって一挙一動を記憶しようとする自分と重なって、あ~気持ちはわかるよ…とも思った。
食べ物だってさすがにタイミングは知り得ないから同時に食べることはしないけど、今週は毎日セブンイレブンの関ジャニ∞監修メニューを「エイトが作った味だ~!」って食べていたし、ロケで行ってたお店にご飯に行くことだってある。
メンバーカラーがある場合は服もアクセサリーもネイルも自担カラーにする。
芸能人相手か一般人相手かが違うだけで、やってることはそんなに変わらないかもしれない。
ちなみに今日はやっと入手したTOMFORD BEAUTYのリップカラーでメイクして行きました。
色の名前が人の名前になっていて、自担の名前が入ったカラーがあったのでつい現場コスメに買っちゃった!
(色名を見せたいから公式サイトを載せるけど、楽天で買えたよ)
イエベにぴったりの赤系オレンジで、ゴールドのラメで、めっちゃかわいいんだ~!
自担の名前を顔面に塗って映画を観に行った私は、彼らのことを「きっしょ!」と思うたびにブーメランがバチボコ刺さって死ぬかと思った。
なぜこの3人の共同生活が10年続いたのか
パンフレットで「なぜこの3人の共同生活が10年続いたと思うか」という質問があったけれど、私はふたつあると思う。
まずは、3人が同担拒否リア恋勢じゃなかったからではないかな。
※同担拒否=同じ人を好きな人は拒否の意味
※リア恋=リアルに恋してるの意味
だって、リア恋だったら同担と10年も同居するの普通に無理じゃない?
周りで見かける同担拒否リア恋勢は、ツイッターで同担を検索してブロックしているタイプもいるので、そんなん同居なんて絶対できないだろうなぁと思う。
そうじゃないから、隠し撮りの写真をたくさん集めて「ベストオブ201〇年」を決めたり、一緒に描いた似顔絵を飾ったり、「姫の好きなところを言い合うゲーム」をしたり、同じ人を好きな同志たちと熱狂を共有して過ごすことを楽しめるんだと思う。
暗い場所から明るい場所にいる好きな人を眺めて、何もせず存在も知られず見ているだけであーだこーだ言って一喜一憂する、ストーカーという概念を覗けばただの愛情の重いファンに見えた。
もうひとつは、「見ているだけ」だったから。干渉もせず、嫌われることをして拒否されることもなく、逆に嫌なことをされて心が離れるわけでもなく、ただひたすら「見る」だけだったから心が離れる機会がなかったからだと思う。
これが異常なのか、このままでいいのか、よくわからないけど、見ているだけだから「好き」はいきなり終わらなくて、やめどきもなくって気づけば10年経っただけなんだ。私は知ってる。
最終的に尾崎の恋は叶ったのか
私は、最後「韓国に行く」とタクシーを降りる志村(=尾崎)は、また韓国にストーカーをしに行ったんじゃないかと思っている。
海辺で初めて本名を名乗ったことで一度は「尾崎」から解放された志村が、今度は志村としてヨンソンに恋をして、周りから祝福される空港でのシーンの妄想を抱えながら韓国に向かうの。
最初は「ハッピーエンドになってヨンソンの彼氏として韓国に行くのかな?」と思ったけど、空港の祝福ムードがあまりにも嘘っぽいし、引っ越し先に向かったブラピや龍馬もいるのがおかしいし、ハッピーエンドになったようには思えない。
そしてその様子を見ていた尾崎は、尾崎と志村が別々になって志村としてヨンソンを追い始める志村を見送ったのでは。
でも、そう思うのはハッピーエンドじゃないほうがいいなと思っているからかもしれない。なんか清々しそうにも見えたし……
キム・コッピさんの「ストーカー行為を肯定する内容にはしたくない」と言うコメントには同意するし、「自分を想うあまりのストーカー行為に真実の愛を感じてハッピーエンド♡」みたいな話だったら後味が悪すぎたと思う。姫が彼らの部屋に入ったとき、全力で彼らを気持ち悪がって拒絶を示して安心した。
「食べる」狂気
「ロングヘアーが好きだ」という言葉への拒絶として姫が切った髪を尾崎が食べるシーン、もう映画館でえずきそうだった……
なんか、髪が口に入ってしまったときのザリザリした食感を想像してしまって。
ひまわりを食べるシーンもそう。
お寿司についている花を食べてしまったときの、キシキシした食感とか、鼻に抜ける匂いとか、茶色い部分はきっとぽろぽろしているんだろうな、とか。
帰り道も、花屋の前を通ってひまわりを見ると、えずきそうだった……
これは別に批判という意味ではなくて、ほかにも木造アパートの蒸し暑さとか、砂浜で靴に入る砂のジャリジャリした感覚とか、噴水の水しぶきとか、あるはずのない感覚を4Dみたいに感じていて、それぐらいのめりこんで見てしまったということ。
食べるっていうことは、それが消化されて栄養になって、自分の血肉となるってことで、それで髪や向日葵を食べるってことは、…とここまで書いて、姫が太陽で尾崎が向日葵なのかと気づいたのですが、髪のあとに食べた向日葵は一緒くたに消化されて尾崎に吸収されるってことなの!?こっわ!!と戦慄した……もうこの怖い気持ちをそのまま残したいので書き直しはしません。
さすがに髪を食べたいとは思わないけど、これもまたブーメランで、私や友人の中では普通のことだけど、飲み物を頼むときに自担カラーのカクテルを頼んだり、自担の誕生日に自担カラーのケーキを買ってきて食べたりすることはある。これの度が過ぎた感じなのかもしれない。
ちなみに今日は渋谷すばるくんが関ジャニ∞として歌うラストの日なので、赤色のいちごサンドを買って帰って、おやつに食べました。
愛するからこそ干渉してはいけないという考え
「好きだと伝えるのは、結局自分が言いたいからというエゴだ」という考えは、言いたいことはわかるけど、でも私はそれでも伝えるくらいはいいんじゃない?と思う。
知らないところでつきまとっているよりは。
そのほうが姫もあんなに絶望と嫌悪の極限状態に追い込まれず、もうちょっと早くにどちらかの意味で救われたんじゃないかな。
嬉しかったとしたら心細く暮らしていた外国で安心できただろうし、嫌だったら覗き見・盗聴されている気味の悪い部屋からとっとと引っ越せたはずだ。
一方的につきまとっているほうが、エゴのような気がする。(これもなかなか盛大なブーメランだ)
さて、ぐちゃぐちゃだった感想をまとめて、それでもぐちゃぐちゃですが、書いてる間に関ジャムの時間まで1時間を切りました。
今日は関ジャニ∞の7人最後のパフォーマンスの日。
結成から10年以上好きだったグループの大きな節目です。
エゴへの考え方には共感できなかったけれど、愛する彼らの選択をテレビ越しに受け入れていくしかないこの状況で、指を噛みながら心の痛みに耐えていた尾崎の気持ちは、ちょっとだけわかる気がします。