安田担の友人に誘ってもらって、今日11/5、安田章大くん主演舞台『忘れてもらえないの歌』を観劇しました。
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感想のまえに少しおしらせ。
しばらくこちらのブログを更新しておりませんでしたが、日常的な話は最近noteに書くようになりました。
明確な棲み分けは決めていませんが、推しに関する感想記事ははてブロ、それ以外(買ったもの、行ったところ、見たもの、考えたことなど)はnoteになると思います。
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舞台のあらすじ
1938年、新宿。大陸で始まった日中戦争の暗い影も気にせず、夜な夜な遊ぶ若者達がいた。彼らの名は、滝野亘、稲荷義郎、良仲一矢。仕事が終わると、それぞれが自分が働く店の残り物を持ち寄り、将来を語りながら飲み明かしていたのだ。しかし、日本は第二次世界大戦に突入。東京は空襲で焼け野原となり、敗戦を迎える。戦後の混乱を生き抜くため、滝野は進駐軍相手のジャズバンドを結成することに。当時、進駐軍のクラブで演奏するミュージシャンには破格のギャラが支払われていた。だから誰もがミュージシャンになりたいと思ったのだ。戦前からの仲間に新メンバーも加わり、ジャズバンド「東京ワンダフルフライ」が誕生。かくして、進駐軍とその関係者ら全員アメリカ人の客を前にステージに立つ「東京ワンダフルフライ」。にわか演奏と歌で、どうするのか!?待った無し!
(公式サイトより引用)
以下、ネタバレ全開です。
公式サイトに「飛び切り不幸な愛の物語」とあるのに、なぜか勝手に明るい話だと盛大に勘違いをして観ていました。
前半は、「ガルボ」というバーの常連だった主人公たちが空襲に遭うけれど、戦後も生きるためにお金を稼がなければならない。稼ぐためにはったりのボイスパーカッションで音楽ができることをアピールして(実際はできない)ジャズバンドを組んで、本当に演奏できるようになるまで練習して、お金を稼いでいく、というストーリーでした。
「縁側でうじうじしたい」「今日のごはん何にしようって考えたい」「家に帰る道で、左と右どっちに行こうか悩みたい」「あんぱんを買うときにこしあんか粒あんで悩みたい」と、生きるのに必死すぎてそれどころじゃない状況で、ジャズバンドでお金を稼ぐことに希望を見出して練習に励むシーンでは、月並みだけど、戦争ってこわいな…と思った。そんな些細な悩みさえも持てないんだな。
そしてバンドは形になって、過去に集っていたバーを舞台に、アメリカ兵相手に曲を披露するようになる。安田くんがジャズを演奏するの、いいなぁ~!と思っていた。
後半の幕開け、夢の中でそれぞれが「床屋」「小説家」「教師」「ピアニスト」の夢を叶えている姿が切なかった。
(安田くんのサイコパス床屋、ツボだった。もっと見たい。サスペンスやってほしい)
後半はだんだんメンバーのスタンスがずれていって、アメリカ兵相手の商売が成立しなくなったときのことを危惧して収入を安定させようとする者、曲本来の持ち味を大切にしてアレンジすべきでないと思う者、逆に詞がない曲にオリジナルの詞をつけて自己表現を図る者…「方向性の違い」が激しくなってメンバーが抜けていってしまう。
(ちなみに私はこの土曜に関ジャニ∞の6人ラストのライブを収めたライブDVDを見て、日曜にはバンドが空中分解する『FRANK』という映画を見た。立て続けにバンドばらばらになりすぎ)
お金のことをしっかり考えられる人って貴重なのに、反発を買いやすくて見ていてつらい。
戦後、商売の顧客だったアメリカ兵は去り、ジャズの流行が過ぎて仕事もなくなって、復興した街のデパートの屋上で営業をなんとか続けている状態。
結局そのあと残ったメンバーもばらばらになっちゃって、安田くん演じる滝野くんはみんなが昔集っていたバーを一人で切り盛りするように。
でもお金がないから借金取りが来て、ギターを売ろうとする。
安田くんは関ジャニ∞でもギター担当なので、安田くんがギターを手放そうとする描写がつらかった。
そこで昔のバーのオーナーと遭遇して、過去のバンドメンバーを呼び戻すことに。
再会したメンバーは、無職、売春婦、会社員?など別々の道に進んでおり、一人だけアイドルっぽいロック歌手として成功している状況。
「今度レコードを出す坂本って歌手に曲を書かないか」と打診され、音楽を愛する良仲くんは拒絶する。
良仲くんは空襲の中でバーのレコードを守ろうとしたり、ジャズを勝手にアレンジするのを嫌がったり、音楽を愛しているがゆえの拒絶で、それに対する滝野くんの「せっかくレコードを作れる楽しみを自分で奪わないで」という説得が良かった。セリフはニュアンスだけども。
そして曲作りが始まる。楽器はもう売り払ってしまったのでボイスパーカッションでリズムを取りながら滝野くんがギターを弾き、良仲くんが作曲し、初めて歌ったときの気持ちを歌姫の麻子が語り、作家志望の稲荷くんが詞にする。
やっとメンバーがそろって楽しかった時間を取り戻し、このレコードが売れたら印税が入ってバーは守れるし生活も楽になるかもしれない。希望に満ちていた。
『夜は墨染』というタイトル。
滝野くんはみんなで作った曲をレコーディングする費用まで負担して、夢を実現しようとした。
そしてレコードの発売日、「店に並んでいた!」と大喜びで買ってきたレコードを再生すると、流れるのは『上を向いて歩こう』。
「今度レコードを出す坂本」というのは、坂本九のことだったらしい。
自分たちの曲ではない、クレジットにも自分たちの名前がないことに表情を曇らせるメンバーたち。
普通、レコーディングの費用なんてレコード会社が出すんじゃないのか、騙されたんだよ、というところ、滝野くんが希望を抱いていた気持ちを思うとつらすぎた。
滝野くん以外のメンバーが「みんな笑ってセピア色にでもしておけばいい思い出になるのよ」みたいなセリフを言って去っていくとき、暗い中でバーの階段にいるメンバーにはセピア色の照明が当たって、中央にいる滝野くんにだけ白いライトがあたっているのが印象的だった。
だからみんなが笑顔を浮かべているこの舞台のキービジュアルもセピア色なんだ。
これは、みんながいちばん楽しかったときの写真なんだ。
劇中で「僕がいなくても音が鳴ることに気付いた」という内容のセリフがあったけれど、役だとわかっていても、私は関ジャニ∞の歌が大好きで、関ジャニ∞の音は関ジャニ∞にしか鳴らせないから「安田くんそんなこと言わないで」と思った。
最後に、タイトル『忘れてもらえないの歌』の意味がわかる。
この『夜は墨染め』は結局世に出ず、日の目を見ず、誰の記憶にも残らないのでもちろん忘れられることもない。忘れてもらうことさえできない曲になってしまった。
だから最後に聴いてよ、ということで、バーの元オーナーに聴いてもらうため、滝野くんはギターで弾き語りを始める。
サビの「うつむいたまま歩く」というフレーズが「上を向いて歩こう」と対になっているのがまた切なさを濃くする。
「うつむいたまま歩く」の『夜は墨染め』は世間の人には誰にも聴いてもらえなかったのに対して、「上を向いて歩こう」は大ヒットを収めるという残酷な未来があるのを私たちは知っている。
もし『夜は墨染め』が本当に使われていたなら、滝野くんはバーの借金がきっと払えたし、元メンバーも苦しい生活状況から抜け出せたはずだし、何より楽しくまたみんなで音楽活動ができたかもしれない。
しかし、無情にも、この弾き語りの途中で大きな破壊音が響く。
借金を払えない滝野くんのバーの取り壊しが始まったのだ。
壁が破壊され、屋根からは砂ぼこりが落ちる中で、滝野くんは弾き語りを続ける。
絶望を絶望でブン殴ってくるの勘弁してほしい。
(自軍のメンバーが主演の話でこれは心情的につらい。ただし作り話の展開的には好きです)
セットが9割なくなったからっぽの舞台の上で歌い続ける。
歌を聴き終えた元オーナーの「私が忘れてあげる」という言葉に滝野くんは「ハハ」と笑う。
劇中で滝野くんは楽しいときも窮地でもずっと明るく笑っていたけれど、これはどっちの笑いだったんだろう。
復興をが進んでビルや東京タワーが立っている町を背に短く笑った滝野くんは、仲間もバーもなくなって、窮地の笑いを漏らしたんじゃないかな、と私は思っている。
でも、そのなかに、「ひとりにでも聴いてもらえてよかった」の笑いも、少しだけ入っていたらいいな。
明日(日付変わって今日)11/6から、関ジャニ∞の5人体制初となる47都道府県ツアーが、関ジャニ∞のスタート地点・松竹座から始まる。
忘れてなんてあげられない歌を、これからもたくさん聴けますように。