これは厄介だっていう説もあるけど

すきなものについて雑多に語るブログです

内博貴がどんどん知らない人になっていく(11/2「まさに世界の終わり」)


もう何を書いても的外れな気がしてきた。

「まさに世界の終わり」、私は11/3が観劇最終日となった。

10/4の名古屋から一か月、毎週のようにこの舞台を観て来たけど、毎回感想がころころ変わって、もう何を書いても正解で間違いな気がしている。

 

今日観劇するまで・してから気になったことと気づいたこと。

項目別にした。

セリフは一応翻訳本を見てはいるけど、微妙に違ったりもするのでニュアンスってことで。

 

ネタバレだらけです。

 

 

 

ルイの手口

初めて観たときは、誰もルイのことを理解してあげていなくてルイがかわいそう…と思ったのだけど、回を重ねるごとに、どんだけ性格こじれてんねんと思うようになってきた。

ルイは、好き度でいうとお母さん>シュザンヌ>アントワーヌっていう感じだと思う。

お母さんやシュザンヌと話しているときのルイは表情がやわらかい。

アントワーヌが乱暴なことを言うと、いつも困ったようにアイコンタクトを取る。

お母さんに自分の死を告げようとしたのに言えなくて、アントワーヌに言おうとしたのに聞いてもらえなくて、その仕返しとして善人ぶって「アントワーヌの罪を告発する」という流れになるけど、実はルイはこの手口を序盤からずっと使っていた。

カトリーヌが子供の名前の由来の話をしようとしたとき、「なんでそんな意地悪なこと言うんだよ」「居心地が悪い」と言ってみたり、日曜日の話で席を立とうとしたアントワーヌに「どこ行くんだよ、さみしいよ」と言ってみたり。

おとなしくて気の弱い弟のふりをしながら、周りにそれとなくアントワーヌの悪印象を植え付けるのが得意。私も最初これに騙されたんだと思った。まんまとルイの手口に騙されていたんだ。

カトリーヌだけはそれを見抜いた。

「僕のことでひどい先入観を与えたんじゃないかな」というセリフ、11/2に見たときはあからさまにドヤ顔で、アントワーヌに悪印象を抱かせようとしているように見えた。

でもカトリーヌは「悪気あってのことじゃありませんよ」とアントワーヌを擁護したので、いつものやり口が通用せずに困惑したような不服そうな表情を浮かべた。

カトリーヌの「言いたいことがあるなら彼に言ったほうがいいですよ」というのは、理由はわからないけどアントワーヌを悪者にしたいほど気に入らないなら、直接言いたいことを言いなさいよ、ということなのかなと思った。

だから、アントワーヌが車で送っていくという提案をするシーンでも、ルイがわざとアントワーヌに優しくして攻撃されているように見せかけていて、母も妹もすっかり騙されてルイの味方をしているということに気付いて、カトリーヌは「おかえりいただけますでしょうか」って言ったんじゃないかな。

 

アントワーヌはなぜ話を聞いてあげなかったのか

せっかくシャンパンのところでルイの体調の異変に気付いたのに、「怖い」「しょい込みたくない」ってだけで大事な話を聞いてあげないなんて、そんなことある?って思ったのだけど、上記のルイの手口を考えたら腑に落ちた。

ルイは車で送っていくってシーンの前からずっと、おそらく家を出る前から、この手口を常習的に使っていたはず。

それをアントワーヌは思い出したんじゃないか。

それで、急に帰ってきた弟が何を真剣に話し出すのか、本当に体調が悪いのか、長男である自分がそれを先に聞かなきゃいけないのか、家族に伝えなきゃいけないのか、という気持ちが辻褄を合わせるように「体調悪いのかと思って心配したけど、昔からそうやって不幸ぶって同情を集めるようなやつだったじゃないか、何もないんだろ」という”結論”を導き出したのかなと思った。

たぶん、本当に「体調やばいのかな」と思っていたら、怖くても聞いてあげると思うんよね。

だってアントワーヌ優しいから。

ルイがカトリーヌに花を贈ったということは、アントワーヌとカトリーヌに娘が生まれたことを知ったから。

お母さんはルイがどこに住んでるのか知らないって言ってたから、きっと報告したのはアントワーヌ。

そのあと、息子にルイと名付けた話も教えている。

兄弟の間で、手紙のやりとりがあったということ。

それがもしアントワーヌの言う「お互いを見張っていた」ということに対するパフォーマンスだとしても、「新聞を読んでいる人間を見て、ルイと同じような人種だと思って俺も裏から読んでみようとするけど無理」という話でも、ふとしたときに当然のようにルイのことが頭によぎるくらいには、「あいつどうしてんのかな」って気持ちがあったんだと思う。

でも、久しぶりに会ったら昔と同じように悪者に仕立て上げられて怒って、体調悪ぶってるのも同情集めたいだけだろって思ってしまったのかな。

 

ルイの後悔

最後のセリフ「僕はきっと後悔するんだろう。こうして零れ落ちていったものを」というところ、11/2の公演は今にも消え入りそうで弱弱しくて、呆然としていて、抜け殻みたいな言い方だった。本当に大切なものを落としてしまったような。魂がなかった。からっぽだった。

私はこの「後悔」を、最初のうちは「家族に言おうとしたのに言えなかったこと」を後悔しているんだと思っていた。

でも、そう考えると文脈的に変だなと気づいた。

「後悔」のたとえ話として、「夜、山奥の陸橋で叫び声をあげたら幸福だっただろうなぁ」って内容の話が出てきたのに、「死を告げること」はどうしても幸福には結び付かない。

じゃあ、幸福って何?って考えたとき、ほんのりわかった気がした。

この場面の前の、アントワーヌがルイと向かい合って、「お前の身に何も起こらないことを願っている」というシーンでは、ルイの笑い方が今までの笑い方と全然違う気がする。音楽のせいかな。でも、本当に素直にアントワーヌの言っていることを受け止めたんじゃないかなって思った。

「あはは」「えへへ」って表面上で笑いながら「何言ってんだこいつ」って思ってそうな笑い方じゃなくて、ちゃんと笑えているように見えた。

あの場面でルイは「意外と愛されてたんだな」と感じられたんじゃないかと思う。

「空と大地の真ん中で、歓喜の声をあげるべきだった(のにしなかった)」というのは、自分がやってみたいと思ったことを実行することの例えだから、それが意味するのは「心の中で、家族に愛されているという実感をしっかりと受け止めるべきだった(のにしなかった)」ということなんじゃないかと思った。

何か反応を返すわけでもなく、ただ自分の中で「僕は家族に愛されていた」と認めること。

暗い山奥で谷をまたぐ陸橋を想像すると、暗い空間の真ん中にルイがいて、誰も人はいない。他人の目はない。そこでルイが何をしようと自由なはずなのに、叫んでみたいなと思ってもしなかった。

それはルイの心の中のたとえなのかもしれない。

自分しかいない、他人が入り込めない孤独な心の中で、「愛されていたんだ」って認めてこっそりと喜んだってよかったんだ。なのにしなかった。心の中は暗い山奥と同じように、誰の目もない自由な場所なのに。

それで、戻らないって決めて、「愛されていた」と認めることもなく死んでいく。

それがルイの言う「後悔」なのかなと思った。

死を告げないことより、残りの時間を家族と過ごさないことより、心の中でこっそりと「愛されていた、よかった」と認められなかったことが、後悔だったのかもしれない。

 

内博貴が知らない人になっていく

回を重ねるごとに、迫力が増したり、いまにも死にそうになっていたり、感情の起伏がすごく激しくて切り替わりがすさまじい。

激しく怒鳴っていたかと思えば、涼しい顔して次のセリフを喋りだしたり、家族への憎悪を大声で巻き散らかしたかと思えば、おだやかな愛想笑いを浮かべたりする。

ずっとつながった時間の中で演じているのを観ているって、忘れてしまいそうになる。

今日、観ている途中に「私はだれを観に来たんだっけ」という不思議な感覚に襲われた。

目の前にいるのが、私の好きな内博貴じゃない、全くの他人に見えた。いや、好きだけど!

いつも「内くんが〇〇役を演じている!好き!」と思いながら観ることが多いのだけど、今回は「誰?」って思う瞬間があった。「内くんってこんな人だったっけ」と思った。

ライブでファンに「あほか!」なんて言ってた楽しい内くんと完全に別人で、本当に性格の悪いひねくれたイケメンに見えた。(イケメンはイケメン)

最後のセリフも、ぼーっとした目で抜け殻のように喋っていて、見たことない顔だった。

内くんはこの舞台を苦手分野だと言っていたけど、すごいよ。すごいガッチリはまっていて、ラガルスが観たら「この人のためにこの舞台を作った!」って思ってもらえるんじゃないかな。ラガルスのことなんも知らんけど。

 

いや~~~すごかったな。すごかったんですよ。今日。

何回もため息つきながら、真顔で劇場を出た。

「なんかすごかった」しかツイートできなかった。

すごかった。本当に。